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331件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2004-11-11 第161回国会 衆議院 憲法調査会公聴会 第1号

このとき中曽根先生は、吉田内閣総理大臣に対して御叱正をされながらの御質問なんですね。それはどういうふうな中身かと申しますと、永世中立に関して吉田総理大臣が何だかこれに対してはっきりそぐわないような言明をされたということに対して、「最も重大な問題は、永世中立に関する総理大臣言明であります。」

土井たか子

2003-03-20 第156回国会 衆議院 憲法調査会 第4号

これについては既に何人の方からかお話がございますが、いずれにしても、あの大戦を経て、昭和二十二年の五月三日に施行されるということで、当時の吉田内閣総理大臣が中心となってこの日本国憲法をつくったわけでありますが、この憲法の理念からしますと、果たして、アメリカの行動というものを日本総理大臣が支持をするという発言ができるかどうかなんですね。  

大畠章宏

1994-10-27 第131回国会 参議院 文教委員会 第2号

その後、すぐに吉田内閣総理大臣が返書を出しております。これを長々読むのも大変でございますから、吉田さんの一番大事なところをちょっと抜粋して読んでみますと、  予は日本国民がこの意義深い措置により国民に示された信任と信頼とにこたえまた新憲法にもられた高き理想を達成するため最善の努力を尽すことを確信する。

木暮山人

1991-11-26 第122回国会 衆議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第7号

自衛隊の歴史的な経過をごらんいただきましても、吉田内閣総理大臣は、自衛の軍隊といえどもそれはつくってはいかぬ、自己増殖を図ってどうにもならぬようになると言っておりましたけれども、朝鮮戦争を契機として警察予備隊になりました。警察予備隊保安隊になり、保安隊が御存じのように自衛隊になりました。初めできたときはサナギでございました。サナギ青虫になり、青虫チョウチョウになってしまったわけです。

滝井義高

1988-05-09 第112回国会 衆議院 決算委員会 第5号

この神道指令占領軍命令でございますけれども、この中で、公務員国家公務員であれ地方公務員であれ、公務員の資格でいかなる神社にも参拝してはならない、こういう命令が下ったわけでございまして、その命令の下っている中で、昭和二十六年に吉田内閣総理大臣内閣総理大臣吉田茂と記名して靖国神社に参拝されているわけでございます。

奥野誠亮

1987-01-30 第108回国会 参議院 本会議 第3号

その後も次々と枢要なポストにつかれ、戦後の昭和二十三年には、吉田内閣総理大臣秘書官として大蔵省を代表して活躍されました。  このときの経験と母方の血が、岩動君の政治への目を開かせたのでしょうか。主計局主計官、駐英大使館参事官東海財務局長の要職を歴任された後、昭和三十五年官界を去られました。

桧垣徳太郎

1983-02-03 第98回国会 衆議院 予算委員会 第3号

しかし、あなたがいみじくも申されたように、吉田内閣総理大臣のときの安保条約に対する評価といまとは違ってきた。私は、あなたはきっとこれからの国際情勢の変化によってまた独走を始めるような、そういう人だと思っておるわけであります。あなたの憲法第九条を改正したいという考えの中には、恐らく西側陣営安全保障のために集団安全保障体制の道を開きたい考えがあるのじゃないのかと私は疑っておるわけであります。

平林剛

1976-05-04 第77回国会 参議院 予算委員会 第8号

政府委員吉國一郎君) 当時、吉田内閣総理大臣は、別な国政上の支障があるということで出頭を拒否いたしました。検事総長出頭をして、まあいわば証言の場に臨んだわけでございますが、証言を求められた事項につきまして、ある事項については証言をし、ある事項については捜査上の秘密であるということで証言を拒否をいたしました。

吉國一郎

1971-12-22 第67回国会 参議院 沖縄返還協定特別委員会 第8号

政府委員井川克一君) 吉田内閣総理大臣からダレス長官にあてた書簡の冒頭に、読んでみますと、「過般の国会衆参両院における日本国との平和条約および日米安全保障条約の審議に際し、日本の将来の対中国政策に関して多くの質問がなされ言明が行われました。その言明のあるものが前後の関係や背景から切り離されて」……

井川克一

1971-01-29 第65回国会 衆議院 予算委員会 第2号

そこで、調べてみましたら、出てきたのが、この中国問題に関する一九五一年十二月二十四日の吉田内閣総理大臣からダレス大使にあてた書簡なんです。これは本会議でもちょっと議論になりましたけれども、明快な回答がなされておりません。この書簡私信だから拘束力はないと、簡単に総理はおっしゃったが、私信とは言い条、これは内閣総理大臣の出した手紙ですよ。

石橋政嗣

1968-03-22 第58回国会 参議院 予算委員会 第4号

——これは吉田内閣総理大臣代理の幣原国務大臣があいさつせられたものでございますが、一応読み上げてみます。「我々はこのたび戦いに破れて現に満身創痍といういたましい姿であるのであります。しかも我が国民生活の逼迫は、これからして後もなおいっそう深刻を加えることがあっても、減ずることは今後数年間には期待せられないのであります。

灘尾弘吉

1965-12-10 第50回国会 参議院 本会議 第13号

これが第一回の予備会談、それから、しばらくたちました一九五三年の一月、昭和二十八年には、当時の李承晩大統領日本に参り、当時の吉田内閣総理大臣会談をいたしております。しかも、この会談を極力具体的に推進をしてやったらどうかとすすめたのは、当時の国連軍司令官クラーク大将であったということが、これまた正確に記録に残っております。

森中守義

1964-03-03 第46回国会 参議院 予算委員会 第5号

私も吉田内閣総理大臣以下、時の内閣の第九条の解釈の変遷というものもいまだに記憶に新しいところであります。当初、制憲議会におきましては、吉田総理自身がお答えになっていることは、自衛のためにも、自衛権はかりにあっても、その発動をやったり、あるいは再単備をしたり、そういったことは一切しないのだ、こう言っている。

藤田進

1960-03-10 第34回国会 参議院 予算委員会 第12号

国務大臣藤山愛一郎君) 先般、木村委員から私に対する御質疑におきまして、吉田内閣総理大臣からダレス長官にあては手紙の背後には何か経済協力約束があるのじゃないか、あるいは若干技術援助、そういうものがあるのではないかという御質問があり、それがうまくいかなかったのじゃないかという御質問であったと思います。

藤山愛一郎

1959-03-17 第31回国会 衆議院 内閣委員会 第19号

一九五一年九月八日に「日本国アメリカ合衆国との間の安全保障条約の署名に際し吉田内閣総理大臣アチソン国務長官との間に交換された公文」、これの中身は、つまり日本の国をば連合国として、アメリカのほかに一つか二つくらいの国は自由に往復したりなんかやるのだ、それを許しなさい、便宜供与をしなさいという書簡内容のようです。その条件が今も残っているかどうかということです。

石山權作

1956-05-10 第24回国会 参議院 内閣委員会 第41号

そして終始吉田内閣総理大臣は、警察予備隊保安隊に変り、自衛隊に変ったと、数が十一万から十三万になり十六万になり、十九万になり、今度は二十一万にふえる。毎年々々自衛力が増強されてくる。これは憲法違反にならぬかというわれわれの質問に対しては、依然として終始、特に吉田さんは、憲法違反ではない、当然自衛力を持つことは許されておる、こういうことを答えてきておる。

松浦清一